
M-1グランプリ決勝が近づくと、毎年のように聞こえてくるのが
「審査、ちょっとおかしくない?」
「どうしてこんなに点数が割れるの?」
という声です。
SNSやYahoo!知恵袋を見ていると、
自分が感じた“面白さ”と、点数の結果が一致せず、
モヤっとした気持ちになった経験がある方も多いのではないでしょうか。
でも実は、その違和感は あなただけのものではありません。
そして、M-1の審査が荒れるのには、ちゃんとした理由があります。
この記事では、
- なぜM-1決勝では毎年のように審査が話題になるのか
- 点数が大きく割れる仕組み
- 「自分は面白かったのに…」と感じてしまう理由
を、できるだけ冷静に、そしてやさしく解説します。
審査を「正しい・間違っている」で判断するのではなく、
「なぜそう見えるのか」を知ることで、
M-1決勝はもっと落ち着いて、深く楽しめるようになります。
決勝を観る前の予習としても、
観終わった後の気持ちの整理としても、
ぜひ参考にしてみてください。
1|M-1決勝はなぜ毎年「審査が荒れる」のか
M-1グランプリ決勝が終わるたびに、
SNSやYahoo!知恵袋では必ずと言っていいほど
「審査がおかしい」
「点数に納得できない」
といった声があがります。
これは決して、その年の大会が失敗だったからではありません。
むしろ、M-1が“多くの人の感情を動かす大会”である証拠 とも言えます。
● 観ている人の数が圧倒的に多い
M-1決勝は、毎年多くの視聴者が同時に観る、数少ないお笑い番組です。
年齢も、お笑いへの詳しさも違う人たちが、
- 家族と一緒に
- ひとりで
- SNSを見ながら
それぞれの環境で同じネタを観ています。
これだけ多様な人が観れば、
「一番面白い」と感じるポイントが違うのは自然なことです。
● 「点数」という形で結果がはっきり出るから
M-1では、ネタが終わるたびに 点数が数字として表示 されます。
この仕組みがあることで、
- 自分の感覚
- 他人の評価
- 審査員の点数
がはっきりと比べられてしまいます。
その結果、
「自分はすごく笑ったのに点数が低い」
「そんなに面白いと思わなかったのに高得点」
といったズレを、誰もが感じやすくなるのです。
● 「好き」「刺さった」という感情が強く残る
漫才は、ただ笑うだけでなく、
- 言葉の選び方
- テンポ
- キャラクター
- 世界観
などが合わさって成り立っています。
そのため、
ある人には深く刺さったネタが、
別の人にはピンと来ない、ということが普通に起こります。
自分の中に強く残ったネタほど、
評価が低かったときに違和感を覚えやすい のです。
● 「荒れる」のは悪いことではない
「審査が荒れる」という言葉には、
どこかネガティブな印象がありますが、
実際には 多くの人が本気で観ているからこそ起きる現象 です。
誰も興味がなければ、
点数について議論されることもありません。
M-1決勝が毎年語られ続けるのは、
それだけ多くの人の心に、何かを残しているからなのです。
2|そもそもM-1の審査は何を評価している?
M-1の審査について考えるとき、
多くの人がまず思い浮かべるのは
「どれだけ笑ったか」
「会場が一番盛り上がったか」
という点ではないでしょうか。
もちろん“笑い”はとても大切ですが、
M-1の審査は それだけで決まっているわけではありません。
● 決勝という舞台にふさわしいかどうか
M-1決勝は、ただのネタ見せの場ではありません。
全国放送・生放送という特別な舞台で、
- 緊張感のある中でも崩れないか
- 大きな会場でも伝わるか
- 一瞬で観客をつかめるか
といった 舞台対応力 も見られています。
同じネタでも、
決勝の舞台でどう見えるかは大きく変わります。
● 審査基準は「一つ」ではない
M-1の審査で最も大きな特徴は、
評価基準が一つに決まっていないこと です。
- 技術を重視する審査員
- 新しさや挑戦を評価する審査員
- 会場の反応を大切にする審査員
それぞれが、自分の経験や価値観をもとに点数を付けています。
この違いこそが、
点数が割れる最大の理由 でもあります。
● 視聴者とのズレは自然なもの
視聴者は、
「その瞬間に一番笑ったか」
「感情が動いたか」
で評価することが多い一方、
審査員は
「漫才としてどうだったか」
「プロの目で見てどうか」
という視点を持っています。
この立場の違いがある以上、
評価が一致しないのは、むしろ自然なことなのです。
3|点数が大きく割れる3つの理由
M-1決勝で「審査が荒れた」と感じる最大の要因は、
同じネタを見ているのに、点数に大きな差が出ること です。
ここでは、点数が割れてしまう理由を 3つの視点 から整理します。
理由①|審査員ごとに「大切にしている価値観」が違う
M-1の審査員は、全員が長年お笑いの第一線で活躍してきたプロです。
ただし、その歩んできた道はそれぞれ違います。
- 技術や構成を重視する人
- 新しさや挑戦を評価する人
- とにかく笑いの量を重く見る人
同じネタを見ても、
「完成度が高い」と感じる人もいれば、
「少し守りに入っている」と感じる人もいます。
この 価値観の違いが、そのまま点数の差 になって表れるのです。
理由②|出番順と会場の空気が影響する
M-1決勝は生放送。
そのため、会場の空気はネタごとに少しずつ変化 していきます。
- トップバッターは会場がまだ固い
- 後半になるほど笑いやすい雰囲気になる
- 流れを一気に変えるネタが出ることもある
審査員も人間です。
無意識のうちに、
「直前のネタ」と比較して点数を付けてしまうこともあります
これが
「後半の方が点数が出やすい」
と言われる理由のひとつです。
理由③|M-1は“比較評価”の大会だから
M-1の点数は、
「そのネタがどれだけ良かったか」だけで決まるものではありません。
- これまでに出たネタとの比較
- 決勝という舞台全体の流れ
- その年のレベル感
こうした要素を踏まえて付けられます。
つまりM-1は、
絶対評価ではなく、相対評価(比較評価)の大会 なのです。
そのため、
同じネタでも
- 出る順番
- 前後の組
によって、点数の印象が変わることがあります。
● 点数が割れるのは「欠点」ではない
点数が割れると、
「審査がブレている」
「基準があいまい」
と感じてしまいがちですが、
実際には、
多角的な視点で評価されている証拠 とも言えます。
全員が同じ点数を付ける大会よりも、
意見が分かれるからこそ、
M-1は毎年これほど語られるのです。
4|「自分は面白かったのに…」と感じて当然な理由
M-1決勝を観ていて、
「自分は一番笑ったのに、点数が伸びなかった」
「なぜこのネタが評価されないの?」
と感じたことがある方は、とても多いはずです。
でも、その感覚は 間違いでも、ズレているわけでもありません。
むしろ、とても自然な反応です。
● 笑いは「感情」で受け取るもの
視聴者が漫才を観るとき、
評価の基準になるのは、
- どれだけ笑ったか
- 心に残ったか
- 共感できたか
といった 感情の動き です。
その瞬間に
「楽しい」
「好き」
と感じたなら、それは立派な“あなたの評価”です。
● 審査員と視聴者では立場が違う
一方、審査員は
「この大会で一番ふさわしい漫才はどれか」
を決める立場にあります。
そのため、
- ネタの構成
- 技術の安定感
- 決勝の舞台での完成度
といった、感情とは少し距離のある視点 も必要になります
この立場の違いが、
「自分の感覚」と「点数」のズレを生むのです。
● 強く刺さったネタほど、違和感は大きくなる
人は、
自分の中で印象が強かったものほど、
評価が低いと違和感を覚えます。
それは、
- 自分の感情を否定された気がする
- 「分かってもらえなかった」と感じる
からです。
でもそれは、
そのネタがあなたにとって意味のあるものだった証拠 でもあります。
● 「正解は一つ」ではないからこそ生まれる感情
漫才には、テストのような正解がありません。
だからこそ、
- 好きなネタ
- 心に残るネタ
- 何度も思い出すネタ
は、人によって違います。
M-1決勝でモヤっとした気持ちになるのは、
自分なりの“面白さの基準”をちゃんと持っている証 と言えるでしょう。
● その違和感も、M-1の楽しみ方のひとつ
点数に納得できない。
でも、それについて考えたり、語りたくなったりする。
それ自体が、
M-1がただの娯楽番組ではない理由 です。
「自分はどう感じたか」を大切にしながら観ることで、
M-1決勝は、より深く記憶に残る大会になります。
5|過去のM-1でも審査が割れた大会は多い
「今年のM-1は特に荒れている」と感じる方もいますが、
実は 審査が話題になるのは毎年のこと です。
M-1の歴史を振り返ると、
点数や順位について賛否が分かれ、
長く語り継がれてきた大会は少なくありません。
● 「荒れた年」ほど、記憶に残っている
不思議なことに、
後から振り返って強く印象に残るのは、
- 評価が割れた
- 意見が真っ二つに分かれた
- SNSやメディアで議論が続いた
そんな年であることが多いです。
全員が同じ感想を持つ大会よりも、
「あの年はどうだった?」と語りたくなる大会 のほうが、
人の記憶に残りやすいのです。
● 当時は賛否、後から再評価されるケースも
M-1では、
放送直後は評価が分かれていたものの、
- 数年後に見返して評価が変わった
- 後にブレイクして「やっぱりすごかった」と言われる
- ネタが語り草になる
といったケースも多く見られます。
これは、
その場の空気や結果だけでは測れない価値が、漫才にはある
ということを示しています。
● 審査論争が続く理由
M-1は、
「一番面白い漫才を決める」というシンプルな目的を持ちながら、
その判断を 人間の感覚に委ねている大会 です。
だからこそ、
- 完全に納得する人もいれば
- どうしても引っかかる人もいる
という状態が生まれます。
この 割り切れなさ が、
毎年の審査論争につながっているのです。
● 審査が割れること自体が“価値”
もしM-1が、
- 毎年ほぼ同じ評価
- 誰も文句を言わない結果
だったとしたら、
ここまで長く注目される大会にはなっていなかったかもしれません。
意見が分かれるからこそ、
それぞれの「面白さ」が浮かび上がる。
それが、M-1という大会の大きな特徴です。
6|審査で荒れたときの“おすすめの見方”
M-1決勝を観て、
「点数に納得できない」
「SNSの意見を見て余計にモヤっとした」
そんなときは、少し見方を変えるだけで気持ちが楽になります。
ここでは、審査が荒れたときにおすすめしたい見方をお伝えします。
● 点数より「印象に残ったネタ」を大切にする
M-1の点数は、あくまで大会としての結果です。
でも、あなたの中に残った
- 何度も思い出してしまうネタ
- つい人に話したくなるフレーズ
- 観終わったあとも余韻が残る漫才
これらは、点数とは別の“価値” があります。
「自分にとっての一番」を、無理に結果と合わせる必要はありません。
● 「自分の感覚」を否定しなくていい
SNSを見ていると、
強い言葉や断定的な意見に触れて、
「自分の感じ方はズレているのかも」と不安になることがあります。
でも、笑いの感じ方に正解はありません。
- 面白かった
- 心に残った
- 合わなかった
そのどれもが、あなたの正直な感覚です。
● SNSと少し距離を取るのもひとつの方法
M-1直後は、
SNSが一気に盛り上がり、
感情的な投稿も増えやすくなります。
もし気持ちが疲れてしまったら、
- あえてSNSを見ない
- 翌日以降に落ち着いて振り返る
という距離の取り方もおすすめです。
時間を置くと、
「あのネタ、やっぱり良かったな」
と冷静に思えることもあります。
● 語りたくなる大会は、いい大会
審査について話したくなる、考えたくなる。
それは、M-1がしっかり心に残っている証拠 です。
誰とも話題にならない大会よりも、
意見が分かれる大会のほうが、
長く記憶に残るものです。
7|まとめ|審査が割れるからこそ、M-1は語られる
M-1グランプリ決勝で審査が荒れるのは、
特別なことではありません。
- 観ている人の数が多い
- 笑いの感じ方が人それぞれ違う
- 審査基準が一つではない
これらが重なることで、
点数に違和感を覚える人が必ず出てきます。
でもその違和感は、
あなたが真剣に観ていた証 でもあります。
審査を「正しい・間違っている」で切り分けるのではなく、
「なぜそう感じたのか」を考えてみると、
M-1決勝は、より深く味わえるようになります。
今年のM-1も、
きっと賛否が分かれ、語られる大会になるでしょう。
それこそが、M-1が長く愛されてきた理由なのです。
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